仕事がうまくいかないときほど、「仕事で成果を上げている人」と比べてしまう。結婚できなくて悩んでいる人は、「結婚して幸せそうな人」ばかり目につく。
これは、強い劣等感のせいです。
落ち込んだときに、インスタを見るのも特徴のひとつです。ヒマでどうしようもないときに、インスタで「キラキラした人達」の画像を見て、どんどん落ち詰められた気持ちになる習慣から抜け出しましょう。
強い劣等感から抜け出す方法
劣等感が強いことを自覚する
劣等感がなさそうに見えるひとも、ゼロではありません。
「受け入れている」か「上手に隠している」だけです。
稼いでいるひとを見て、「すごいなぁ」と感じて、あのひとより自分は劣っていると感じるのは、みんな同じです。
ただし、受け入れているひとは他人と比べることがありません。
あのひとすごいなぁ・・
自分とは違う生き方をしている人だな。
比べているときは、「あっ今、自分の劣等感が強くなってるな」と気づいて、強く感じてしまっていることを自覚することです。
自覚することで、比べることを意図的に止める。
あの人みたいに本当になりたいのか考える
あのひとは、すごく稼いでいていいな。
結婚しているひとは、愛されていてうらやましいな。
本当に、あなたが比べているひとみたくなりたいのか?
正直ものすごく稼いでいます!
けど、忙しくて自分の時間なんてほとんどないし、責任あるポジションなんで、ストレスは結構かかります。
結婚して幸せです!
けど、旦那の家族との付き合いとか、お互いの価値観の違いに悩むことはあります。
それでも、あの人みたいになりたい!と思えば、どうしたらなれるか真剣に考えてみる。外側から見える「良い面だけ」を見て、うらやましいと感じているだけかもしれません。
それほどなりたくないかも?今のままの方が気が楽かも。と思えば、比べるのをやめる。
自分の意見を尊重する
周りに流される原因は、「自己卑下」しているからです。
「自分なんかどうせ」という考え方です。
そもそも、自信がないひとは、周りの人間に流されやすいという傾向があります。
それは、考え方に問題があります。
自分はダメだ。
自分が考えたことなんて、どうせくだらないことなんだ・・
こんな風に考えているので、周りの意見に左右されて、流されてしまいます。たとえ、周りの人より自分が良い意見を持っていても、客観的に比べることなく、周りの意見を採用します。なので、チャンスを逃しまくるか、他人に奪い取られることになります。
自分の意見がダメだと決めつける前に、客観的に判断する。
変えられないものを「どう捉えるか」は自由
顔や身体は生まれつきのもので、基本的に変えようがありません。
ですが、それを「どんな価値観でどう捉えるかという自由」は許されています。
私は美人じゃない。
キレイなひとがうらやましい。
僕はイケメンじゃないし、背も低いから全然モテません。
一方で、美人さんイケメンさんにも悩みはあります。
「高嶺の花になりすぎて恋人ができにくい」
これは都市伝説ではなくて、本当のことらしいです。
容姿が飛び抜けていいひとは、好きなひとに想いを伝えると「なんで自分なんかを誘うんだろう?何か裏があるのでは?」と警戒されて、結果うまくいかない傾向があります。
何を言いたいのかというと、容姿端麗でもそれはそれで悩みが出てくるということです。
なので、ちょっとブサイクぐらいに生まれて良かった。と捉えるか、もっとカッコよくないと(可愛くないと)幸せじゃないと捉えるかで、まったく違ってくるということです。
どっちに捉えるかは「あなたの自由」
現状を変えたければ選択する
強い劣等感を持っている人は、文句を言いつつ、現状を維持する傾向があります。
誤解してはいけないことは、「今いる現状に満足することは、決して悪いことではありません」
むしろ、生きるのが楽になる考え方です。
ただし、「今を楽しんでいる」が大前提です。
劣等感が強い人は、自分の人生や境遇に文句を言います。なぜなら、他人と比べるからです。
自分の人生をもっとこう変えたい。
自分はもっとできるはず。
でも、現状を変える行動を起こさないのは、もし行動に移して、それが失敗したときにもういい訳できず、どうしようもない状態になるのが怖いからです。
チャレンジするのが怖い。でも、現状には満足していない。
だから、今を楽しめないし、未来の成功もないという状態です。
打開するには、どちらかを選ぶこと。
誰かに許可を求めるのをやめる
劣等感が強い人は、自分を下げているのに失敗するのが怖いから、責任を逃れるために、誰かに許可を求めます。
何かリスクがある行動を取るときに、自分で選択しません。
旦那に(嫁に)に聞かないと・・
親に聞いてみる・・
これは丁寧そうに見えて、責任を逃れたいだけです。
こうゆうことを繰り返していると、自分の人生を自分で変えたという感覚が得られないので、一向に劣等感から抜け出せなくなります。
「失うものが何もない人」は強いと言いますが、失うものが何もないにもかかわらず、保身に走っている状態です。
何も入っていない金庫を一生懸命守っているのと同じことです。
この中には大事なものが入っているんだ!開けたことはないけど・・
という矛盾を抱えて生きています。
劣等感から抜け出すには、誰かに許可を求めるのをやめること。
ストレスを避け過ぎない
ストレスがない人生は、生きやすくて幸福感を得られる一方で、ストレスを避け過ぎると、達成感を得られないという側面があります。
過度なストレスからは、逃げるのが一番ですが、最低限のストレスからは、逃れてはいけないということです。
日常生活でストレスケアをすると、ストレスは減りますがゼロにすることはできません。
ある程度軽減して、処理できるかたちにして、意味があるストレスを乗り越えていくことが、人生において重要なポイントです。
ストレスの中でも「成長につながるストレス」は、喜んで受け入れていく方が、ストレスから逃げているひとより、はるかに健康的になりメンタルも良くなり、人生の満足度も向上します。
なぜなら、その先に「成長」と「達成感」が待っているからです。
ストレスを避けているひとは、人生の満足度が逆に下がってしまいます。または、逆にストレスを受ける。ネガティブな感情が湧いてきます。
過去に、ストレスを乗り越えた経験があると、あのときに比べたら今のストレスはまだマシなほうだ。だから、乗り越えられるはずだという自信にもつながります。
自分が「ストレスマネジメントできるくらいのストレス」からは逃げない。
無条件に自分を許す
もっと〇〇だったら自分を好きになれるのに。
自分の〇〇なところが許せない。
自分の価値を認める上で、「〇〇だったら」という『条件』を使うと、必ず比較が生まれます。
比較するということは、自ら劣等感を感じに行っているようなものです。比較や根拠なしに、自分を許して認めることです。
「すぐに落ち込んで傷つきやすい自分を許す」
「趣味も仕事も長続きしないのも自分」
こんなに自分に甘くしたら、ダメ人間になってしまう。
真面目で誠実なひとほど、こんな風に考えます。
けれど、「落ち込まないし、少々なことじゃ傷つきもしない自分」にたとえなったとしても、もっと打たれ強いひとはいるし、まったく動じないひとがいます。
今、自分のことを「落ち込みやすい」「傷つきやすい」と感じているのは、「あの人と比べて落ち込みやすい」「あの人に比べて傷つきやすい」という比較から、自分を認識しています。
世界中のひとが、落ち込みやすく、傷つきやすければ、自分が特別落ち込みやすいとは思わないはずです。
いわば「〇〇だったら許せる」は、永遠にたどり着けない目標になり、いつまでも幸せになれない呪いでしかなくなります。
比較と根拠は、劣等感とセットです。
なので、「もっと打たれ強くなりたい」は目標にとどめて、今の打たれ弱い自分も良しとして許して認める。
まとめ
現代は、SNSの急速な普及で、他人と比較することが増えました。
昔は、比較する対象が「自分の身の回りの人」だったのが、「世界中の人」になり、目標や憧れの人を探しやすい一方で、強い劣等感を受ける環境にあります。
SNSは、自分の最も良い面だけを載せるという特徴を知らないと、常に「他人の絶頂期」と「自分の絶不調期」を比べて、無駄に落ち込んでしまいます。
比較という競争から離脱して、比べる対象を「過去の自分」に変えて、自分の成長を感じて自己受容することが、生きやすくなる方法です。
コメント