兄が胃がんでなくなりました。
亡くなった直後に、今まで感じたことがない喪失感を感じて、「一体この感情はなんだろう?」「名前がある感情なのだろうか?」という疑問を持ちました。
どうやらこれは、「グリーフ」というものみたいです。
兄を亡くす
ガンの発覚から闘病
兄は40代前半でした。
「スキルス胃がん」が発覚してから、2年の闘病を経て亡くなりました。
兄は地元の北海道に住んでおり、僕は当時愛知県で働いていました。胃がんになったと聞いて、僕は地元に戻り、母と一緒に兄の通院を手伝っていました。
兄の長い闘病生活の最後は、本当にツラそうでした。
食べ物はもちろん、飲み物さえ数口しか飲めない状態だったので、体重が落ちてガリガリの身体になり、寝返りもつらい状況でした。
なので、「一日でも長く生きてほしい」という気持ちから「はやく楽にしてあげたい」という想いに変わっていきました。
そこで向かえた死だったので、「安らかに眠ってほしい」という気持ちでした。
兄とのつながり
父親は、僕が小学生のときに病気で亡くしました。
子どもの頃は、母が働いている間、兄弟で留守番をしていました。
家は男3人兄弟で、僕は次男です。
弟は保育園に通っており、迎えに行くのは僕の役目でした。親の帰りが遅い日は、自分たちでお店に電話して、出前を頼んで食べる生活です。
そんな子ども時代だったので、兄弟のつながりは感じていたし、大人なった今でも精神的に頼りにしている部分は大きかったです。
僕が自死を考えているときに、兄の言葉で救われたこともありました。
仕事再開
忌引き休暇3日と、通常の休み1日で、4日ぶりの出勤でした。
目覚めてからずっと無気力な状態が続きました。
- どうせどうせいつか死ぬのに、どうして働かなければいけないんだろう?
- 兄の闘病を手伝うために地元に帰ってきたけど、帰ってきた意味がもうないな・・
出勤準備が苦痛というか、ひたすらだるくて、ひげをそってはテレビの前に戻り、歯を磨いてはテレビの前に戻るを繰り返してなんとか出勤しました。同僚には、忌引き休暇をくれたことのお礼を言うのがやっとで、他のことには気をつかえないし、使いたくない気分でした。
いつもは、自分の仕事以外もいろいろ気になってやっていたことも、最低限のことしかしない。手が空くと宙を見つめて葬儀のことを考える。時間が経つのを、ひたすら待ってる状態でした。
通夜や葬儀のことをしゃべる気にならないし、同僚も話されても困るだろうと思い、何もしゃべらない。常に涙目になっている。(ずっとコンタクトレンズがゴロゴロして痛い)
無気力な状態と、もうどうでもいいという投げやりな気持ち。たまに何に対してか分からない怒りが湧く。すべて投げ出したくなる。
自分なんかより、兄の奥さんや子ども、母の方が数倍つらいはずなのに、今の自分の状態が情けなくなってくる。
この状態がずっと続くのではないかという絶望感。
忌引き休暇の日数に疑問を持つ
今の職場の忌引きは、親や子供が無くなったら「7日間」。兄弟で「3日間」です。
「忌引き休暇」とは、親族の葬儀などを理由に取得する休暇のことです。慶弔休暇と呼ばれることもあります。
そして、「忌引き」とは「喪に服す」という意味です。昔は、一定期間自宅にこもって身を慎み、故人を悼むものでした。現代でも、葬儀や諸々の手続きで休みが必要だろうとの考えから、忌引き休暇制度が設けられています。
故人との関係性 | 忌引き休暇の日数 |
---|---|
配偶者 | 10日間 |
父母 | 7日間 |
子 | 5日間 |
兄弟姉妹 | 3日間 |
祖父母 | 3日間 |
配偶者の父母 | 3日間 |
配偶者の祖父母 | 1日間 |
配偶者の兄弟姉妹 | 1日間 |
孫 | 1日間 |
叔父叔母 | 1日間 |
これは、なんの日数だろうという疑問が湧きました。
普通のひとなら、そのくらいで仕事復帰できるでしょ。
親や子どもが亡くなったわけじゃなく、兄弟なんだから3日間で立ち直るでしょ。日数の違いは、悲しみの違いなのか?
恐らく、ただ単に親や子供が亡くなった場合、喪主になる可能性が高く、それだけ葬儀の準備や、その後にやらなければいけないことが多いから、日数が多く設けられているんだと思います。
だけど、忌引き後にまた今までと変わらず働けるひとがどれだけいるのだろうと疑問を持ちます。
僕がHSP気質だからなのかもしれませんが、休み後に仕事に出てきて、同じように動けない。周りに気をつかわせている。自分が周りに気をつかえない。こんな状況にストレスを感じました。
HSPには完璧主義者が多いと言われています。僕もその自覚があります。
完璧主義者にとって、「ちゃんとやりたいのに、出来ない状況」は、とてもストレスです。出来なことに「自分はなんてダメな人間なんだ」と落ち込んだり、自分を責めることになります。
僕は自分の気質を理解しているので、今は自分に対して「ちゃんと出勤しただけでも、充分偉い」と言い聞かせています。
身内亡くしたときに起こる「グリーフ」とは
グリーフとは
大切なひとを亡くしたときに感じる「喪失感」のことです。
死別による悲嘆(ひたん)と翻訳されることが多い言葉です。
喪失にはいくつも種類があります。大切な人との死別、離婚や失恋、引越しや卒業に伴う別れも含まれます。
そして、グリーフの感じ方はひとそれぞれです。同じ出来事が起きたとしても、その感じ方は家族のなかでも違いがあります。
「私はすごく悲しくて涙が止まらないのに、ほかの家族はどうして泣かずにいられるのだろう」
そう疑問に持つひともいますが、感じ方が違うから当然のことです。どちらが偉いわけでも、正しいわけでもありません。
喪失感の深さや、長さが変化するポイント
- 誰が亡くなったか
- どうように亡くなったか
- 故人との関係性
- 過去の喪失体験
- 本人の気質
- 周りのサポート
- 喪失に関連した二次的な影響
グリーフで現れる変化
グリーフを克服するには
グリーフは「克服する」ことはありません。
グリーフは受け入れて、新たな人生の意味を見つけていくしか方法がありません。グリーフは「病気」や「異常」ではありません。誰にでも起きる自然な反応です。
日本では、死別の悲しみに耐えることが賞賛され、「早く立ち直らなければいけない」「悲しみに耐えられて偉い」とされています。
他のひとはすでに立ち直って、新たな一歩を踏み出しているのに、いつまでも悲しんでいたら弱い人間なのか?
僕はそうではないと思います。
悲しむ期間を競い合うのは違います。自分で自由に決めてよいものだと思っています。
ただし、自分ひとりでは対処できないほどひどくなったり、身体的・心理的健康を脅かす状態になったりしたときには、それに対応できる専門家や、適切な援助を見つけることが必要です。
グリーフを経験したときに役立つこと
最後に
同じように、近しい誰かを亡くしてグリーフ状態になっている方へ。
僕の場合は、母や弟、友達に話すことで気持ちが楽になりました。
心の痛みがやわらぐために必要な時間は、人それぞれです。
今は、心の痛みがやわらぐ日が来るとは、考えられないかもしれません。ですが、今の苦しみが永遠に続くわけでもありません。
今が一番悲しくて、つらい時間。
そう信じて、一日一日を静かに生きることだけを考えてみましょう。
来週のことや、来年のことを、今は考えられないかもしれませんが大丈夫です。考えなくてもいいことは、今は考えないようにしましょう。僕はそうします。
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