【自死を考えていたころ】遺書を書いたが、思いとどまった理由

人間関係

一度本当にツラくて、自死を本気で考えたことがあります。

遺書を書き、思いとどまった経験があります。

自死を考えている人に、こんな言葉は届きません。

「世界には、もっとツラい人がいるよ」

「この先いいことがあるかもよ」

「死ぬなんてダメだ!」

誰かと比較してツラいではなくて、自分のキャパでは抱えられないツラさです。

感じるツラさも、受け止められるツラさもひとそれそれです。

死ぬのがダメなんて、知ってます。
知ってるけど、道徳なんて考えられない状態だから選ぶんです。

この記事を読んで分かること

僕がなぜ自死を選んだのか、なぜそこで思いとどまったのかが分かります

宣言します。このページは日記です。
ためになるブログではありません。息抜きに書きました。

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自死を考えて遺書を書いた理由

自死を考える

HSP、AC、ゲイの生きづらさ

子どものころから、本来の自分を見せてはいけない。
見せると見放されるという思いを抱いていました。

毒親というわけではないので、あくまで勝手な思いです。

HSP気質のせいで、親が望むいい子に勝手になろうとしていました。反抗期を無理やり抑えていましたが、いつでも何かの拍子に爆発しそうな危うい日がよくありました。

中学生のときに、ゲイであることを自覚して、その爆発しそうな思いがより膨らみました。

けど、爆発したら絶対に後悔すると分かっていたので、無理やり抑えている毎日です。

成人してからは爆発というより、どう生きて行けばいいのか分からない不安感をずっと抱えていました。

悪いことが重なった

社会不適合者になってはいけないという恐怖心から、必死に社会人していました。

会社では、絶対にゲイだとバレてはいけない。バレたときは仕事を辞めなければならない。

という恐怖心が常にありました。

けれど、そんな気持ちとは逆に、社内に好きな人が出来てしまいます。

一緒に仕事をしていたら、そのひとの「いいところ」が見えて、いつの間にか好意を寄せていたことが何度かありました。

自分が好意に気づいたときに感じることは
  • この好意は絶対に受け入れられるものではない
  • 早く消さなくてはいけない
  • 好意自体が、相手にとっては気持ち悪いものだ
  • この気持ちは、相手にも周りにもバレてはいけない

こんな感じです。なので、僕にとって人を好きになるとは単にツライものでしかありません。

はっきりフラれるために、職場の人に思いを伝えたことが過去2回あります。
もちろん2回とも、しっかりフラれます。

タイミング悪いことに、失業も重なってしまいました。

それが自死を選んだきっかけです。

明るい未来が想像できなくなった

ずっと抱いていた不安感に、失恋と失業が重なる。
ひとことで失恋と言っても、僕の場合は違います。

うまくいくかもしれないから告白するのではなく、気持ちを断ち切りたいからフラれるための失恋です。そこに絶望を感じました。

この先、生きていてもしょうがない。

人を好きになってはいけない。ひとりで死ぬことがわかっているのに、なぜずっと生きなければいけないのか分からなくなりました。

恐らく、これを読んでくれている人は、「ゲイ同士が出会って恋愛すればいいでしょ」と思いますよね。

僕も出会ってなかったわけではありませんが、職場に既に好きな人がいる状況です。

そもそも別の人を探すことができないし、無理やり探しても相手に気持ちがないのに付き合おうとは思えませんでした。

このとき、35歳です。
遺書を書きました。
まず、家族への謝罪と、誰のせいでもなく自分のせいで自死を選ぶこと。
銀行口座や、生命保険の詳細。
出来たら連絡してほしいひと。などです。

遺書を書いた日は、実行する気力がもうなくて、明日方法を考えることにしました。

翌日、実行の日にメールが届きました。

なぜ自死を思いとどまったのか

自死を思いとどまる

兄からのメール

僕はこのとき、実家から離れた場所でひとり暮らしをしていました。

兄は、実家から近いところに家族を持って住んでいます。

普段は、帰省の日程を連絡するくらいしか、やりとりをしない兄から突然メールが届きました。

それは、「この前の休みに、母さんと子どもたちで温泉に行ってきたよ」という内容です。甥っ子と姪っ子の画像付きです。

温泉に行ったのは、この前と言っても何か月も前の話です。
なぜ今日送って来たのか不思議でした。

けど、このメールで我に返りました。ひとりじゃなかったと。

そして実行するのをやめる。一旦考えないようにすることとしました。

とりあえず生きてみる

人はこの先の未来に「少なからず希望」があるから生きていけると思います。

明日からずっと、死ぬほどツラい日が来ることが確定していても、「明日も生きる!」となるでしょうか?

自死を選ぶときとは、「少しの希望も見えない」もしくは「少しの希望よりも、未来への絶望」が大きくなったときだと思います。

僕は、未来を考えるのをやめました。

それまでは、
「将来を考えた仕事選びをしなければならない」
「幸せにならなければ生きている意味がない」

と思っていましたがやめました。

幸せになれないかもしれないけど、とりあえず生きてみる。

最後に

最後

もしも、今自死を考えているひとがこのページを読んでくれていたら(多分いないと思いますが・・・)伝えたいことはひとつです。

幸せじゃなくてもいいから。とりあえず生きてみる。

明日地球が滅ぶかもしれないし、事故にあって死ぬかもしれません。
先のことは誰にもわかりません。

まさか、僕がブログをはじめて、自死について書くなんて数年前は考えもしませんでした。自分の想像を超えることが、この世には起きます。

あなたが死ぬときに、

ひとりでも悲しむひとがいるのであれば、それが生きている意味です。

自分のために生きるのがツラいなら、

そのひとが悲しまないために、そのひとのために生きてください。

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